2つの套路で太極拳の“本質”を学ぶ十三式太極拳

2つの套路で太極拳の“本質”を学ぶ十三式太極拳

 十三式太極拳画像

十三式太極拳――それは、やさしく始められ、なおかつ太極拳の“奥深さ”に迫る中身の濃い功法だった……

You Tubeに投稿した十三式太極拳について、ここでは、太極拳が本来もつ本質、奥深さのようなことを念頭に置いて、もう少し補足的に説明を加えてみたいと思う。

⇒ You Tube: 大好き十三式太極拳

「神の数式」にワクワク

その前に、太極拳そのものとはいささか離れるが、最近(2018年3月)たまたま目にしたNHKのテレビ番組から話を始めたい。

その番組名は、「神の数式完全版第4回」。2013年に放送されたものの再放送版である。

ご覧になった方も多いと思うが、内容は、思いっ切り端折って言うと(というか、専門知識が皆無なので端折るしかないのだが)、万物の成り立ちを数式(すなわち、神の数式)で記述しようという物理学者たちの奮闘の歴史を紹介したものである。

神の数式画面

NHKスペシャル 神の数式完全版第4回より

そして物理学者たちは、幾多の努力のうえ、広大な宇宙を支配する数式「アインシュタインの一般相対性理論(重力理論)」と、ミクロの世界を扱う「素粒子の数式」をそれぞれ記述することに成功する。そこまでは、どうにか辿り着いた。

ところが、マクロの事象を記述する数式と、ミクロの事象を記述する数式を、一本化して記述することが、なかなかできなかった。もし、マクロとミクロを統合する数式を示すことができれば、それは宇宙の全てを説明する「神の数式」とも呼べるものになるかもしれないのだが……

結論をいえば、「超弦理論」というものを用いることで、この試みは成功する。そこで明らかになったのは、物質の根源は「点」ではなく「ひも」であり、この世は「10次元」であるという、とてつもない世界像だった。そして、物理学者たちは、宇宙は11次元だと考え、さらにその先の神の数式を求めて今も研究を続けているのだという……

とまあ、(もしかすると、正しく理解できていない恐れがあるが…)こんなふうな内容だったと思う。

いゃー、この番組は、実に、面白かった。Michiと一緒に見ていて、二人で大いに盛り上がった。

何に、かというと、この世は、調和されてある世界なのか、それともワケのわからない支離滅裂、理不尽、不条理な世界なのか、ということである。

そのことを、物理学者たちは、この世は、一つの数式で表わすことのできる調和された(記述のできる)世界である!!! と究極のレベルに近いところまで、証明してみせたのである。

日々の生活にどっぷりと浸かっている身には、こんな大きなワクワク感を覚えたのは、本当に久しぶりのことだった。

この世界はどう成り立っているのか?

考えてみれば、この世がどうなっているのか、ということは、太古から、人の大きな関心事であったに違いない。

なぜ季節は、春夏秋冬と、ほぼ規則通りに巡るのか。太陽や星や月は、規則正しく運行するのか。なぜ、物は、人も含め、生じ、滅するのか……。

なぜ、物事には、女性的なもの(陰)と男性的なもの(陽)が存在するのか。さらに仔細に目を凝らして観れば、男性的なものの中に女性的なものが含まれ、女性的なものの中に男性的なものが含まれるようである。それは、なぜなのか。しかも、それは物事が変化するなかで、固定して留まるものではなく、常に割合を移しながら、同じく変化を繰り返しているようだ……

物事は千変万化して止まないが、どうもそこに、何か根本の原理があるのではないか……。

この世の森羅万象を記述する公式

こうして「易」が誕生する。易とは、変わる、という意味である。物事は変化してやまないが、そこに変化を記述する“原理”がある。それが明らかになれば、森羅万象を読み解くことが可能になる……

既に、ニコニコ太一気功の別の投稿記事にも書いたように

⇒ 太一って、何?

古い易経という経典の中に「易に太極あり、これ両義を生ず。両義、四象を生じ、四象、八卦を生ず」というのがある。

太極とは、無極(0)から生じたもので、1。両義は、1が陰と陽に分かれた2。四象は、さらにそれぞれが陰陽に分かれた4(2×2)。八卦は、その4がさらに陰陽に分岐した8(2×2×2)である。

ちなみに、八卦というと、当たるも八卦当たらぬも八卦、のあの八卦で、具体的には、乾、 兌、離、震、巽、坎、艮、坤の八つの卦を指す。

八卦図

八卦図(Wikipediaより)

要するにこれは、始源なるものが陰、陽に分かれ、それが次々に変化の道筋を辿って、いま現在の様相(形勢)がある、ということで、物事は生成流転して極まりがなく、一見不調和で無秩序に見えるかもしれないが、元を辿り、辿っていけば太極の一点(太一)に帰着するんですよ、ということだと思う。

また、こうした陰陽思想とは別に、自然現象の四季変化を観察し抽象化するなかから生まれた五行説というものもあって、こちらのほうは、天地や世の中の様々な事象を、木、火、土、金、水の五つの要素から見ようとした。

五行図

筆者が気功整体学校時代に勉強した『図説 東洋医学<基礎編>』(山田光胤、代田文彦著 学習研究社)より。五行の相生・相剋の関係も示されている

すなわち、これらは、世の森羅万象を読み解こうとした古代人の大いなる知恵、まさに「神の数式」とも呼べるものだったのではないだろうか。

なお、東洋思想の根幹を成す陰陽五行説については、グーグルなり、専門書で、さらに詳しく調べていただければと思う。

なぜ「太極拳」という名前なのか

話を、(ようやく!)本題の十三式太極拳に移そう。

王宗岳というと、『太極拳論』や『太極拳釈名』を著した人として、太極拳愛好者の間ではつとに知られており、それまであった拳法の十三勢(別名、長拳とも)を、「太極拳」と命名した人物といわれる。

なぜ、わざわざあえて「太極拳」と名づけたのか?

それは、この拳法、十三勢が、天地自然を貫く根本原理(東洋的な太極・陰陽五行思想)に根差し、その変化のありよう(形勢)を具現化したものと王宗岳老師が理解したからだ、とされる。

You Tubeの動画の説明文でも述べたように、ここで「十三」といっているのは、套路(動作)の数ではなく、十三の「勢」(形勢)のことである。

具体的には、掤(ポン)、才履(リー)、擠(ジー)、按(アン)、採(ツァイ)、挒(リェ)、肘(ジョウ)、靠(カオ)であり、また進(ジン)、退(ドゥェ)、顧(グ)、盼(パン)、定(ディン)を指すという。

十三勢と太極拳を結びつける

問題は、その十三の勢を、どう太極拳と結びつけるかだが、これは、次のようなことになるらしい。

らしい、というのは、残念ながら、筆者もまださっぱり理解できていないためである。(;^_^A

ここでは、主に以下の図書を参考に、最初の4例のみを紹介しているので、詳しくは、これらの本を是非、ご覧いただければと、思う。

『太極拳理論の要諦』(銭育才著、福昌堂)
『5分でできる簡易十三式太極拳』(詹徳勝著、日東書院)

『太極拳理論の要諦』

太極拳とは何なのかを、経典に即しながらやさしく教えてくれる

『簡易十三式太極拳』

太極拳の本質に根ざした太極拳が、たった2つの套路でやさしく始められる

掤(ポン)。
掤は八卦でいうと、中が陽で両サイドが陰の坎に当たる。また、人体のツボでは会陰穴に当たる。したがって、外見は空虚で中を充実させ、腕が陰柔で空虚の円弧とし、中を陽剛で満たし芯を成す。と同時に、会陰穴を意識する。
気の流れはまた、夾脊関から労宮穴への流注を意識する。

才履(リー)。
八卦では、中が陰で両サイドが陽の離。ツボは祖竅穴。外を充実させ、中を空虚にする。内に膨らみをもたせ、接触部分をしっかり保ち、相手の力に正面から抵抗することなく、相手が前進してくる方向の延長線上に少しのズレを入れて、祖竅穴を働かせながら、導く。
気の流れはまた、労宮穴から中丹田を通り、湧泉穴への流注を意識する。

擠(ジー)。
八卦では上の二つが陰で下が陽の震。ツボは夾脊穴。口の空いた椀で、相手との接触面では意で迎え、体の上部と中部を虚とし、足の裏で地を踏み、夾脊穴が前足の湧泉穴に落ちるようイメージ。反作用力を利用して手の甲から前へ力を出す。
気の流れはまた、湧泉穴から夾脊穴を通り、労宮穴への流注を意識する。

按(アン)。
八卦では上が陰で下の二つが陽の兌。ツボは膻中穴。すなわち、膻中から上が虚で下が実。水が奔流のように地表を埋め尽くす勢いの流れの先に目を向けながら、腰で攻める。
気の流れはまた、湧泉穴から夾脊穴を通り、労宮穴への流注を意識する。

太極拳をより味わい深いものにするために

太極拳というと、私たちはややもすると、自分もそうだったが、健康にいい“運動”の一つと捉えて、その背景にどういう意味合いがあるのかまでは深く考えて動作をすることは、あまりなかったのではなかろうか。

しかし、太極拳をするということは、本来、常に根源(太一)に結びつくことであり、今しつつある動作は、その根源が分化してどの形勢にあるのかまでを、意識下か無意識下は別にして、理解し感じとりながら動いていく必要がもっともっとあるのだろう。

そうすれば、太極拳の味わいもより深く豊饒で清澄なものになっていくのではなかろうか。

また、そうすることで、呼吸と意念と動作を結びつけ、経穴(ツボ)にも働きかけながら、内気(生命エネルギー)を養い、育てることにつながり、体中に隈なく、巡らせるようにもなるし、本来太極拳がもつ、健康への望ましい効果とか、武術的な能力の向上や、いろいろな変化対応力も現れてくることになるのだと思うのだが、どうだろうか。

少ないものを深く

幸い、今回やってみた、台湾の詹徳勝老師が編集されたこの十三式太極拳は、そうした“太極拳の原点”を踏まえたうえで、「攬雀尾」と「龍回頭」という、おおまかにはたった二種類の基本套路から成り立っており、先の十三勢を修練できるようになっている。

套路が多いと、自分自身の体験でもそうだが、どうしてもそれを覚えるのに時間と意識を取られ、その分、その意味合いを感じとるところまではやはりなかなかいきづらいと思う。逆に、この十三式太極拳のように、基本套路の数が少ないと、それだけ中身の把握もやりやすくなるに違いない。

少ないものを深く――そういう意味では、この太極拳は、たいへんありがたい功法だと思っている。

太極拳が本来もつ“奥深さ”を、少しでも感じとれるよう、これからもサークル仲間と一緒に、楽しみ、味わいながらコツコツやっていきたいなあと念願しているところである。