体を動かしたのは、筋肉それとも骨?
気功整体学校在学中に学んだ骨と筋肉の関係――それは、整体をするうえでも、気功をするうえでも、とても大切なことでした!
思わず、思考が停止
下の図は、かつて気功整体学校に通っていた時分に、試案としてまとめたものです。
キッカケは、整体(筋・筋膜療法)の授業中のこと。「骨が傾いた、このときの付着筋はユルんでいるか、コワバッて(緊張して)いるか?」 そんな質問が講師から受講生に投げかけられました。
うん?
筋肉というのは、縮むことで力を発揮しますから、当然、コワバッていると思いきや、先輩受講生の「ユルんでいます」の返答に、「そう! したがって、……」と、話は足早に、次へと展開していきます。
ところが、小生はというと、意外なコトの成り行きに、頭が途端に、思考停止。その後の話にうまくついていくことができませんでした。
筋肉はユルミもすればコワバリもする
どういうことなのか?
それから、しばらく考えて、ようやく腑に落ちたのが、筋肉は、状況に応じて、ユルミもすれば、コワバリもするんだという、至極当り前のこと。そして、体を動かすのは、筋肉ばかりでなく、骨も重要な役割を担うということ。今から思うと、当時は自分の頭が想像以上に“コワバって”いたんだなあ、と冷汗が出ます。
つまり、……。船についた帆柱をイメージすれば、多分、わかりやすいと思います。帆が強い風を受けて、柱が倒れそうになった……。このとき、柱についた風上側にあるロープは、柱が風下に向かって倒されないようにと、ピンと張りつめます。一方、風下にあるロープは、ユルみ垂れ下がってしまいます……。
骨主導、筋肉主導
同じことが、骨と筋肉の関係についても、当てはまります。柱が倒れて筋肉がゆるんだ。これは、骨が倒れることで筋肉のユルミをもたらしたわけですから、骨主導といえます。では、筋肉が収縮して柱が倒れたときは? これは、筋肉が骨を引っ張って倒したわけですから、筋肉主導といえます。柱が倒れて筋肉が緊張したときは、どうでしょうか? これは、骨が倒れることで筋肉の緊張をもたらしたわけですから、骨主導です。では、筋肉がゆるんで柱が倒れたときは? これは、筋肉のユルミが骨を倒したわけですから、筋肉主導です。
大切なことは、整体をすすめるに当たって、その体の動きは、骨が主体となった動きなのか、それとも筋肉が主体となった動きなのか――を、しっかりと見極めることでした。このことを、ようやくにして理解したのでした。ふ~(-_-;)
筋肉と骨の相互作用は連鎖して広がる
それとともにもう一つ学んだのは、この筋肉と骨の相互作用は、単に特定の骨や筋肉に止まらず、関連する骨や筋肉にも次々に波及、連鎖して広がっていく、ということです。これもまた、同じく整体をすすめるに際しての、極めて重要な視点でした。
実は、この点も「筋・骨連動図」として、同じく試案のなかにまとめておいたのですが、これについては、また別の機会に触れてみたいと思っています。
その前に、そのときに感じた別のことを、少しだけお話しておきます。
それは、気功との関係です。
無用な表層筋の使用は極力控え、深層筋の活用を
気功では、ファンソンといって、弛むことの大切さを説いてやみません。必要のない緊張、力みを抜いて、体を動かしなさい、というわけです。それは、無用な筋肉の使用は、極力控えるべきだという主張であるとも思います。そのとき、この骨主導か、筋肉主導か、という視点は、体を動かすうえで、ひとつの重要な勘所を教えてくれているように思ったのです。
どういうことかといえば、体を動かすにあたっては、筋肉、筋肉と、筋肉ばかりに焦点を当てずとも、もっと骨に着目すればいいのではないか、ということです。つまり、骨をフッと上手く動かすことができれば、筋肉は緊張せずとも、弛みながら、用が足せるのではないか、ということです。それはまた、人間の体の中心にあって姿勢を制御し安定を保つ深層筋、いわゆるインナーマッスルを活用して、表層筋の過度の(あるいは無駄な)使用を避ける、そんな体の賢い使い方にもつながるのではないか、それは実は気功が私たちに教え示してくれている大きな恩恵の一つではないのか、などと思い至ったのです。
そしてそのことは、その後、気功・整体学校を卒業して始めた地域の気功サークルの活動のなかでも、活かされていくことになったのです。