五十肩で日常生活にも困っている……(続続)

見出し画像ボタン 五十肩で日常生活にも困っている……(続続)

見出し画像五十肩続続

施療も回数を重ねて14回、ようやく日常生活に困らないレベルに……。振り返って、人はなぜ五十肩になるのか? を考えてみる

該 当 者: 70代 女性
該当部位: 肩、腕ほか
訴  え: 肩が痛い、腕の上げ下げや背中に手を回すことができず、日常生活にも困っている……

<見立て~施療> (7回目以降)

前々回、前回と、初回からの施療のあらましを追った

⇒ 五十肩で日常生活にも困っている……
⇒ 五十肩で日常生活にも困っている……(続)

以下は、7回目以降14回まで、1週間から10日ぐらいの間隔を置きつつ行なった施療の要点と経過のあらましである。最後に、全体を振り返って、人はなぜ五十肩になるのか? についての、ささやかな私見を述べてまとめとしたい

●7回目
腕が寒く、指もこわばっている……

前回からの経過)
本人の話。前回施療してもらったあと、神経が興奮しているのかあちこちに痛みを感じたが、その後は楽になった。手も後ろにはいくようにはなっているが、どうも左腕を主にむくんでいるような気がして気持ちが悪く、うすら寒いような気がする。指もこわばっている。坐椅子に首の付け根をのせて寝たりしていたので、それが悪かったのではないかと思う。右膝も、前よりは楽になっている。言われた運動は、少ししかできていないが、その分歩くように努めている

五十肩続続画像緑色

左腕がうすら寒く、指もこわばっている気がする

運動療法で体がポカポカと……

施療)
左前腕、上腕、肩、首のほぐしを中心に整体。左手は三指と四指の第一関節が非常に固く曲がらないのをていねいにほぐし。そのあと、循環をよくするために脚から手(腕)と運動療法。本人、体が軽くなり、ポカポカしてきた、とのこと。さらに、全身を整体手技でほぐし、耳に圧痛があるのを調整

術後、本人曰く、体が楽で、背がすっと伸びたような気がする。確かに、見た印象でも、2、3歳若返ったようであった。試しに両手を後ろに回してもらったところ、両手が組めるところまで回復できた

●8回目
バス旅行で状態が悪化……

経過)
本人の話。かつての職場のOB会に参加。バス旅行で長時間坐っていたせいもあってか、左上腕と両手指のこわばりがひどい気がする。そのため腕を後ろ手にしても組むところまではいかず、指一本触れるのがやっと。両脚も右を主にむくんでいるようでつらい。甩手などの運動もあれこれ忙しく、あまり時間がとれなかった

全身整体で後ろで手が組めるように……

施療)
坐位運動療法(踵上げ、爪先上げ、踵合わせ、膝合わせ等)。脚の筋肉ほぐしと血流促進で、動きが軽く楽になるのを実感してもらう

その後、湧泉、労宮のツボでの補瀉調整から全身整体。右脚の短縮傾向、骨盤の捻じれ、腹部臍周りや胸郭部の筋肉のハリ、圧痛、鼻翼にある大腸経のツボ迎香の圧痛、目の周りのツッパリ感、耳の胆経のツボ聴会部の圧痛などなどの気になる点をほぐし、調整

ちなみに、目の周りのツッパリ感、耳の聴会部の圧痛については旅行先でお酒を結構召し上がったとのことなので、その影響が目との関連が強い肝経と、肝経の姉妹経で筋肉とも関係する胆経に及んだものと思われた

ご本人は整体の途中からよく眠り、あとで聞くと、足と体がポカポカして大変気持ちが良かった、との由。術後、体が軽くなり、本人も少しずつ良くなっているのを実感するとのことだった。そして両手も後ろ手で再び組めるように復すことができた

●9回目
冷たい床に長時間坐り、あちこちに痛みが再発……

経過)
本人の話。いっときよかったが、地元近郊での健康大会に出かけ、見学した際に、冷たい床にずっと坐っていたためか、疲れてきて、あちらこちらがまた痛くなってきた。左腕、右膝、右の脇腹がとくに痛い。手も朝起きるとこわばっている。そんなこともあって、自宅での運動もあまりできていない。朝ふとんの中で動かしたり、テレビを見ながら体を動かしたり、といった程度。動かしていると、そのうち良くなってくる

施療)
体の状態をみると、確かに前回、前々回と比べても、明らかに悪化している。とくに季節の変わり目で天候不順の影響もあってか、脾経の気の流れが悪く、これも体の不調を助長しているもよう。試しに、右脇腹の脾経のツボ大包辺りに軽く圧をかけると非常に痛がる。両足の同じく脾経のツボ三陰交も圧痛が強い。さらに腎経絡や心経絡、肝経胆経の状態も良くない

施療のなかで細かくみていくと、体も右に動揺しており、坐骨の位置も左右差が生じている。両脇腹、右腰、鎖骨下の斜角筋付着部、さらには耳珠前のツボ耳門(三焦経)、聴宮(小腸経)、聴会(胆経)に圧痛。前回のこともあったので、お酒について聞くと、大会のあと気のあう仲間と楽しく遅くまで飲んだ、とのことだった

これまでと同様、全身の気の流れの調整と問題箇所のほぐし、全身整体を行なう。やはり途中で眠り始め、術後には体が楽になり、スッキリしたということであった

●10回目
尿に潜血反応が……

経過)
本人の話。体はだいぶん落ち着いて楽になってきた。それでもちょっと無理をすると、なにかのときに腕や膝などがチリチリしたりする。運動は、これまでからずっとやっている地域のボランティア活動などもあり、いろいろ忙しくてそんなにできていない。太極拳のほうも、あまり行けていない。ちょっと心配したのは、健康診断があり受けたところ、尿に潜血反応があったこと。専門医に行って診てもらったら、ひとまず大丈夫でしょう、と言われた

施療)
尿潜血反応が陽性ということは、腎臓や膀胱、尿道などになんらかの異常の恐れを疑われたということなのだろう。東洋医学的な視点でいっても、この方の場合、初回から毎回のように(今回も含めて)腎膀胱経絡、肺大腸経絡に変調がみられたから、体のほうで疲労とか不調があると、やはり腎、膀胱機能の働きが弱ってくる、ということなのかもしれない

歳がいくと、東洋医学でいう先天の気(生命エネルギー)がやせ細ってくるから、食事などの後天の気でカバーし、それを体中にしっかり巡らせることが大切になる。気は血と一緒に巡るから、そのためにも、よく体を動かし、血液循環をよくしていくことが欠かせない

今回の施療も、その線に沿って、運動療法と全身整体で対応した。いつもどおり、施療の中途で眠り始め、終わったときには、スッキリとされていた。本人も体が楽になったとのことで、腕や肩が少しずつ良くなってきているのを実感するとのことだった。試しに腕を動かしてもらったところ、両手が自然に振れるようになる。それとともに、後ろ手でに組んでもらったところ、右手で左手をつかめるところまで回復していた。帰り際、本人が無意識のうちに左肘に荷物をかけ、腕を動かしていたのが印象的だった

●11回目
血流の流れをよくすると、体が楽に……

経過)
前回から11日を置いての来院。本人曰く、先週末夜に仲間と出かけたり、昨日は映画を観に行って長時間坐っていたら、また、腕や膝があちこち痛くなってきて、痛み止めの薬を飲んだ。調子がよくない、とのこと

施療)
やはり血流の問題が大きな要素になっていると考えられ、これまでとほぼ同様に、運動療法と全身整体を行なう。術後、体が楽になり、落ち着かれる

●12回目
脱力しての甩手を実習……

経過)
本人の話。甩手などの運動はできるだけするようにしているが、ときどき動かすと痛い。ズキズキすることがある

施療)
念のため、どのようにしているのか前後の甩手を目の前でやってもらうと、踵への重心移動ができておらず、ただお腹のみを前後に揺すっていて、軸もぶれぎみで、力で振っている印象であった。左腕が動かしづらいという思いが強いためか、どうしても力を入れて筋力で振ろうとするのだろう。そうすると痛みが上腕に出て、余計に動きが円滑さを欠く悪循環に陥っているようであった

そこで、腕の力を抜き、体幹で軽く振ってもらうやり方を再々度説明。加えて、上腕の圧痛部や肩甲骨周り、肩、首、胸郭のほぐしを丹念にしていったところ、動きがスムーズになり、楽に振れるようになってきた。本人も、どこも痛くないと言う

そのあと、全身整体。術後、本人、体がスッキリしたとのことで、腕も、右、左、同じように動くようになる。帰り際に玄関を閉めるときも、左手を使い楽に閉められていた

●13回目
飲酒の影響……

経過)
10日後に来院。本人によれば、全体的には楽になってきている。昨日はちょっと無茶をして朝の10時から夜の9時半ごろまで、仲間と座卓ゲームをし、食事をして帰った。さすがに疲れたが、体を動かすと良くなってきた。ただ、腕のほうは重い物を持つと痛みが出る

施療)
前回した前後の甩手等の動きを再チェック。呼吸と合わせて、力を抜いてするやり方を再確認。また、動作のなかで違和感を感じた部位があれば、「よくなれトントン」をやってもらうことを勧め、試しにやってもらう

よくなれトントンについては、以下をご参照ください

⇒ アトピー、眼瞼下垂で困っています……(続)

その後、整体手技のなかで、左上腕部に変調があることがわかり、調べてみると、右膝が影響しているもよう。さらにみると、腓骨頭部と大腿前面、脾経の脚のツボ三陰交と血海に圧痛があり、これらをほぐし、調整することで、ある程度圧痛は収まるも、十分には取り切れず。さらにみていくと、膝上の肝経のツボ陰包辺りにも圧痛。右足肝経のツボ大敦を刺激することで痛みが取れる

昨日は食事のときにお酒を飲みましたか、と聞くと、結構飲んだとのことなので、そうした影響が血流などに影響したものと思われる

このあと、肩、肩甲骨周り、首から後頭部にかけてていねいにほぐしていったところ、上腕部の変調が消え、本人もこれまで同様、気持ちよく眠っておられた。術後、体が楽になったとのことで、当方からは積極的に自宅で甩手をやってもらうように話

●14回目
日常生活でも困らなくなる……

経過)
11日後に来院。本人によれば、日常生活上は、あまり困らなくなってきた。ただ、ずっと立っていると、右膝が痛くなったり、腕は着る服によってはちょっと困ったりすることがある、とのこと

施療)
全身整体。仰臥位で右膝の内側を施療していたところ、それまで眠っていた本人が痛い、痛いと目を開け、口にする。ここは前回と同じ陰包部ですよ、と告げると、本人から、実はその後お酒は控えていたのだが、つい最近、仲間と飲みすぎたことがあったとのこと。調べてみると、右脇の同じく肝経のツボ期門付近にも圧痛がある。肝経を主とした気の流れの調整と胸郭部ほぐしで、圧痛が消える。術後、体が楽になり、腕の動きもかなり良くなる

その後ひと月ほどして、本人にお聞きすると、日常生活上はほぼ問題なくいけている、とのことだった

<考察> 人はなぜ五十肩になるのか?
五十肩は大変だ!

かつて気功・整体学校で学んでいた際に、整体科の担当講師から、「五十肩は(施療するのが)大変だ」と聞かされていた。そのときは、まだ実習歴も浅く、そんなものかと思い、なぜそうなのか、までは聞きそびれてしまったのだが、今回の施療で、なんとなくその理由の一端がわかったような気がした

五十肩というと、単に肩が上がりにくい、腕を動かしにくいといったふうに、肩とか腕だけの問題として局部的に捉えがちだが、実はその背景にもっと広いさまざまな問題が潜んでいる可能性がある、ということである

今回の事例をみても、来院者は実に多くの疾病を過去に経験されてきた。肺炎に始まり、急性肝炎、膀胱腫瘍、腎臓結石、腰痛、膝痛、無呼吸症候群、脇痛……。その流れの延長線上に「五十肩」というトラブルが発生している

もちろん、人によっては、これほどまでの大変な病歴体験はもたない人も多いと思うが、それでもある程度歳がいき、中高年になって、体のあちこちにガタがきはじめると、そのうち肩がおかしい! 痛い! 動かない! 程度に大小はあれ、そういう体験をされる人は多そうである

「腎の気」の衰え

なぜそうなるのかというと、今回の事例を題材に、東洋医学的な視点も加味しながら考えてみると、やはり一つには加齢ということが大きいのだろう。加齢というのは、東洋医学的には、腎の機能が衰えてくることである。腎の機能が衰えるとは、体内を巡る気(生命エネルギー)の量が潤沢でなくなる、ということである。初回の施療で来院者から話のあった「トイレに近い」というのも、やはり腎機能の衰えからくるものとみられる

東洋医学では、生まれたときに両親から与えられた「先天の気」と、その後飲食物などから得られる「後天の気」をもとに生を営むという。先天の気は人が成長し、年齢を重ねるとともにやせ細ってくる一方なのに対し、後天の気は自分自身で増やすことができるとされる

先天の気が潤沢であるうちは人は元気だが、やがて歳をとり、先天の気が減じてくると、老化が始まる。後天の気をしっかり養って、生命エネルギーの補填が十分であればいいが、そうでなければ、生命エネルギーの総量が減ってくる。生命エネルギーの総量が減ってくると、体の細部、末端にまで十分なエネルギーの供給が行なわれなくなる可能性が高まる。そうなると、体の諸機能にいろいろ不都合な現象が起き始める

一つの不調が体中に次々、連鎖する

もし肺大腸経に十分なエネルギーが供給されなければ(東洋医学でいうところの)肺大腸の、腎膀胱経であれば腎膀胱の、肝胆経であれば肝胆の、心小腸経であれば心小腸の、脾胃経であれば脾胃の、それぞれの働きに悪影響を及ぼし、さまざまなトラブル、疾病を招くもととなる

今回の来院者の場合、若い時に何かの原因で肺炎を患っている。まだ元気なうちはやり過ごせたが、老化とともに腎にきて、それが数年前から一気に体のあちこちに広がっていった感がある

ちなみに肺経というのは、呼吸作用によって天の気を吸入し、全身に配布する。飲食物のエネルギーとも合体し命を育む働きもしている。もし、エネルギーの総量が少なくなってきたのに加えて、この肺経の、気を巡らせる働きがあやしくなったのでは、なおさら体の諸機能に対し、悪影響を及ぼすことになるだろう

しかも歳がいって、先天の気を蓄える腎の機能が衰えてくると、人はたいがい腰が曲がり、姿勢が悪くなる。前かがみとなり、胸をふさぐ。胸をふさぐと、これまた肺の機能にさらなるダメージを及ぼしかねない

そして、東洋医学では、肺がおかしくなると、その影響が腎にいき、それが肝、心へと連鎖、伝播していく見方をさし示している。ことは肺に限らず、他の経脈についても同様である。つまりは、肺にせよ、腎にせよ、肝にせよ、その他にせよ、一つの機能の低下、劣化は、いろいろ様々な形で体の諸機能のトラブルへとつながっていきかねない、ということである

気は血とともに流れる

ところで、いま、もっぱら気(生命エネルギー)の観点から話を進めているが、実は、東洋医学では、気は血とともに流れるという。「気血」と一括りにして言うことが多いのは、そのためである

およそ人が病気になる大きな原因は、体の組織や細胞に新鮮な酸素や栄養等が送られないことによるもので、その大役を担うのが血液である。血が体の組織や細胞にいかないことを想像してみれば、それがどれだけ大変なことかは、容易に思い至ると思う

気血循環の大切さ

今回の施療で、盛んに血液循環の大切さを力説し、くどいほど説明を重ねたのも、そのためである。血液循環と言っているが、それは「気血」の循環ということである。このことは、来院者にも説明した。幸い、この方は気功、太極拳をこれまでやってこられた経験があり、その辺の理解は一般の人に比べはるかに得られやすかったのだが、惜しむらくは、なかなか十分な実践にまでは結びついていなかったようである。これまで続けてこられた地域でのボランティア活動や仲間との交流、さらには個人的な趣味娯楽に時間を割かれ、どうやら優先順位の最上位までにはいかなかったふしがある。もし(リハビリをするかの如く)優先順位を高く置き、日々、熱心に取り組まれいたら、もう少し早く健康回復の途を歩まれていたのではないか、と思ったりする

甩手のすすめ

話がいささか横道にそれたが、今回の施療で来院者にお勧めした甩手(スワイショウ)は、その気血を巡らせるのに大変いい方法だと思っている

甩手は、ただ手(腕)を振るだけの、極めて簡単な功法である。たったそれだけのことだが、これによって血液循環がよくなる。全身の隅々にまで満遍なく血を及ぼす作用がある

筆者が地域でやっているニコニコ太一気功サークルで、甩手を奨励して結構やっているのは、このためだが、甩手の効能はそれだけではない。腕を振ることで血液を全身に送り出す心臓の負担が減り、心臓が楽になってくる。肺の機能も高まり、呼吸も楽にゆったりと深くなり、それに伴って内臓の働きもよくなる。肩や首がほぐれ、脳との血液循環も良化し、脳がすっきりし、休まってくる。また、単純なリズム運動は、心と体のバランスをとり心身の健康維持に役立つセロトニンという脳内物質の分泌を高めるのにもよいといえそうだ

しかも、甩手は、施療の過程で来院者にも個人レッスンした脱力のやり方などにちょっとしたコツはあるものの、方法論自体は大変簡単で、副作用もほとんどなく、コストもかからないので、個人が健康の維持改善、養生のために取り組む価値は大いにあるといえる

この辺のことについては、以下の投稿記事でもあれこれ述べているので、参考にしていただければ幸いである

⇒ 百病を癒す甩手!

⇒ 前後の甩手(スワイショウ)考

⇒ 何かをするということ、何かをしないということ

⇒ 甩手(スワイショウ)はどれくらいすればいいの?

後天の気を養う

甩手の効能について、専ら、血液循環の視点から述べたが、甩手のさらにいいところは、先に述べた「後天の気」を養うのにもいい、ということである。後天の気というとふつう飲食物から摂取することが中心に考えられているふしがあるが、けっしてそれだけとは限らない。天地から、直接に気(生命エネルギー)を補充するのである。と、こんなことを言うと、途端に、何をこいつは言っているのだと怪訝な表情をされることがあり、困ってしまうのだが、そんなことはない。たとえば、野菜は天地の気を受けて、立派に育つのである。いってみれば、野菜を食べるということは、天地の気(生命エネルギー)が野菜として凝縮したものを、私たちは口から摂取しているのに過ぎないのである

そして、実は、甩手ももちろんそうだが、気功、太極拳をするというのは、この天地の気を養い、巡らせることでもあるのである。そんな貴重極まりない方法論が、太古の昔から伝承されて今日にまで至っているのは、驚嘆すべきことで、誠にありがたいことである。太極拳愛好者のなかには、太極拳を一種の健康運動と考えてやられている人もおられるようだが、太極拳でやっていることは、けっしてそれだけにとどまらないことを是非理解していただければ、と思う。そして、気を養い、体に巡らせるのにふさわしいやり方で、(練功ではなく)煉功(エネルギーワーク)を進めていってほしい

⇒ 練功から煉功へ!

またまた話が脱線しかけているが、甩手がなぜ後天の気を養うのに役立つのかについては、機会を改めて、個人的な小さな体験も踏まえ、述べてみたい

話を五十肩に戻して、五十肩の問題にどう取り組むかについては、くどいようだが、問題を肩だけという個別単独の問題としてみないほうがいいと思う。その背景にあるものも含めて、全身的、さらにはもっと大きな(天地宇宙という)観点からアプローチすることが欠かせないのではなかろうか。怖いのは、五十肩よりもむしろ、その背景にあってこれまで見過ごされてきたものなのかもしれないのである。要するに、体(あるいは物事)は全てひとつながりで、全てで一つなのである。そういうことを、個人的には改めて痛感しているところである